ぼつぼつブログ
ネットはつながらない
神奈川県相模原市で起きた障がい者施設での殺傷事件は、ネット社会の持つ影の部分を際立たせた結果となりました。いまや電車に乗ってもほとんどの人が下を向いてスマートフォンなどを操作している光景も珍しくなくなりました。最近配信が始まったゲームアプリでも、歩きスマホの危険性が指摘されているにもかかわらず、結構な事故が起きているようです。この現実は私たちが日頃「つながり」と呼んでいるものが、ネットによって増大しているのではなく、実は個別に分断しても不自由が無くなっていること(つながらなくてもなにも不自由がないこと)を象徴しているにすぎないという印象があります。そのうちに携帯端末で情報を得ていなかったために災害で命を落とすような事態があっても、誰も関心を示さないというような、おかしな状況になるかもしれません。
この頃強く感じるのが、このような情報機器(IT技術によるもの)は、人の能力を拡張するのではなく、人の能力を代替する形で能力そのものを奪っているのではないかという点です。私たちは道に迷うとためらわずにナビを使用しますし、わからないことがあればすぐに検索してしまいます。一見簡単で便利なことのように思いますが、それによって私たちは「太陽の位置や植生で方位を判断し」たり、「脳に刻まれた過去の記憶情報を検索すること」によって脳を活性化する機会を失っているのではないでしょうか。これって本来高めるべき(あるいは維持すべき)人の能力を損ねているのではないでしょうか。いや、もちろん将来はこのようなIT技術が肉体と一体化して機能するものを人間と呼ぶのだというような理屈をこねる人がいるかもしれません。でもそれって本当に人類にとって望ましいことなのでしょうか。
間もなく開催されるリオデジャネイロ五輪は、人の肉体的能力を高めた結果、選ばれた人たちがたくさん活躍する場です。この「肉体」が際立てば際立つほど、心や精神との差を意識せざるを得ない時代になった気がします。
ハザードとリスク ふたたび
政府の地震調査研究推進本部が2016年版の全国地震動予測地図(確率論的地震動予測ハザード)を発表しましたが、皆さんはこの情報を利用されていますでしょうか。報道などに取り上げられているのを見ると、この種の情報がうまく実社会で利用されるのは難しい部分があるのではないかと思い、今日はその点を書いてみたいと思います。
まず気をつけなければならないのは、この地震動予測地図はあくまで「ハザード」に関する情報だということです。ハザードはリスクを構成する重要な要素ですが、全てではありません。もう一つ重要な要素がリスク評価を行う対象物の「脆弱性」です。どんなにハザードが大きくても、脆弱性が低ければリスクは極めて限定的なものとなるでしょう。良い例が建物の耐災害性です。例えば耐震性が高いとか、免震構造になっているとか、良い地盤に立地しているとか、基礎をしっかり造っているとか、建物が持つ脆弱性を小さくする措置を施しているものは、結果的にリスクは小さくて済みます。一方でハザードが小さくても脆弱性が大きければリスクは大きいものとなります。地震動予測地図であまり赤くなっていないところだからといって、いい加減な建物であれば、大したことない地震動にもかかわらず、大きな被害をこうむる恐れがあります。
それに加えて、このハザード情報には多くの「不確定性」が含まれています。まず私たちは地震を引き起こす原因となる断層やプレート活動に関する十分な知識を得ていません。今できているのはこれまでの観測などに基づくきわめて限定的な情報から科学的な知見を得て推測しているにすぎません。そこには多くの「仮定」があり、また一定の約束事に基づく「みなし」があるのです。よって評価された結果には本来かなりの幅があるわけですが、この種の情報が出されるときにはその不確実さの「幅」は表現が難しいので、大概は取り上げられません。そのため私たちが目にするのはその一部の表現に過ぎないのです。またハザード評価自体にも不確実な要素が多々あります。想定されている地震と全く同じものが起きたとしても、実際の揺れが計算されたようになることはほぼないといってもよいでしょう。たくさんの経験値から得られた科学的な予測方法でも、一回ごとの事象を完全に説明することはできないことは、ほかの分野でもよくあることです。
こう考えると、全国どこでも地震に対するそれなりの備えは必要となり、それはこの地震動予測地図の評価結果を反映するというものとは違った形で取り組まねばならないように思われます。実際この予測地図を公開する時の記者発表でも、評価が低いところだからといって地震が起きないわけではないということを繰り返して言っていました。確率で数パーセントだから低いとは言えないということを、数学的に理解することも大切かもしれませんが、工業製品として作られる住宅などの性能に、地域差を設けること自体あまり意味があるとも思えませんので、建築基準法でも地域ごとに定めている係数はできればなくなるほうが合理的なのではないかと思うのは私だけでしょうか。それよりも地盤の良否、建物の耐震性の良否を、建物を建ててしまってからでも、また古くなった建物でも、簡易で精度よく評価する技術の開発のほうがずっと大事な気がします。それができれば少なくとも危険な建物の判別が行え、事前防災対策がずっと効果的に進むように思います。
さて、地震動予測地図はハザードが表現されていますが、リスクを表現しているものもあります。つい最近、大手保険ブローカーであるAON社が世界のテロと政治的暴力に関するリスクマップの最新版を公表しました。世界地図に色分けされたもので、各国のリスクがおおむね6段階に分けて表現されています。これを見ると日本は一応低い(LOW)と評価されていますが、決してゼロではないのです。その意味ではリスクはどこにでもあると考えないといけないということでしょう。いまや南極大陸ででもなければ、この種のリスクがゼロになるところが地上に存在しないというのが悲しいですね。
ちなみに通常の犯罪リスクについてみると、国別統計では日本は極めて低い特異な位置にいます。例えば殺人ですが日本では大体年間400人ほどが殺人の犠牲者になっています。一日に一人くらいの見当ですね。これは10万人当たりの数にすると0.3前後で世界的にみると非常に低い値です。ドイツは0.9、イギリスは1.0、フランスは1.2、トルコは2.6、台湾が3.0、米国が4.7、イラクが8.0、ロシアが9.5、フィリピンが9.9、メキシコが15.7、南アフリカが33.0、最も高いのがホンジュラスで84.6となっています。上位には中南米の国々とアフリカ諸国が並んでいて、政治的安定性の悪さが治安の悪さにつながっていることがうかがわれます。ちなみにリオ五輪が開催されるブラジルは24.6で世界15位、年間5万人以上が殺人で犠牲になっている現実は正しく報道されているでしょうか。現地に行かれることをお考えの方は、くれぐれもご用心くださいますよう。
私たちの目指すもの
今回は少し辛口です。
仕事として防災にかかわるようになり40年近くが経ちましたが、これだけいろいろな災害の現場や防災の取り組みに関与してもなお、私たちの目指すものがどういうものなのか、私にはよく見えていない気がいたします。何とも情けない話です。
その原因の一つとして、私たちが目指す望ましい社会像を今もって誰も示しておらず、それでもなおいろいろな取り組み行われ、制度が作られ、我々がそれに頼らざるを得ないという実態があります。地域防災の取り組みがまさにその代表的なものです。社会が変わることが求められても、どう変わればよいのか、誰もその青写真を示すことができていない、それでも走り続けなければならない、そのようなつらい現実があります。具体的な例をあげましょう。
防災科研もそうですが、いま全国各地で実に多くの防災関連の研究者が地域づくり、まちづくりの取り組みを支援しています。それらは一見して地域が「良く」なっているような印象を受けます。でも本当にそうでしょうか?少し離れて眺めてみると、
1)その取り組みは永続的なものなのか?現在かかわっている人材がいなくなったらもう続かなくなってしまうのではないか。いまは動いているけれど、10年後、20年後の地域社会像を踏まえたうえでの取り組みなのか。
2)その取り組みは本当に地域の主体性の元に行われているものなのだろうか。結局は行政や研究者、あるいは利害関係のある企業などが見栄えよく「お膳立てした」ものの上に行われているものではないだろうか。
3)防災力が高まることばかり喧伝されているが、それによるデメリットまできちんと議論されているのだろうか。防災力が高いこと=よい社会という、一方的な価値観の押し付けになっているのではないか。
などと感じてしまいます。(このことに関するご批判、ご意見がありましたら是非ご教示ください。)
私が個人的に思うのは、研究者や行政が地域社会とかかわりを持つような活動を行うのであれば、何をやるにもまず最初にその地域にどのような未来をもたらすかについて、ある程度の指針となるようなものを明示すべきではないかということです。将来予測的なもので定量的に評価が難しい部分はあるとは思いますが、その部分では定性的なものでも構わないと思います。それが「未来に責任を持つ」という行政や研究者の役割ではないかと思います。
ちょっとうがった見方をすると、今各地で行われている防災への取り組みを観察すると、
1)行政が政治的な圧力で地域に「何か」しなければならないという流れ(方向性)が生まれる。(背景に地方創生だとか、いろいろなものがあるとは思います。しかし多くの地域では行政の現場担当者は「上から」言われたので仕方なくやるという印象が強くあります。)
2)困った担当者が地域にある大学やわれわれなどの研究機関やコンサルタント企業などに相談を持ち掛ける。そこで費用の問題も認識され、研究機関のほうは研究業務と絡めて支援が行えるならばやりましょうという方向を見出し、民間企業のほうはとりあえず先行投資と考え、将来は実入りがあるとみこまれた場合には動き始める。
3)住民の中に知恵のある人たちがいて、活動を始めたものの自分たちだけではできることに限界があることに気づき、行政に支援を求めた時にこのタイミングが合うか、または行政からの働きかけを「渡りに船」となった時に、声を掛け合って動きが始まる。しかし、地域にはいろいろな関係者がいて、結局は全員参加が難しいという「壁」にはぶつからざるを得なくなり、いつものメンバーだけで集まるようになる。
かくして、ワークショップに代表される防災や地域づくりに関するいろいろな取り組みが行われているのではないでしょうか。もちろん、ここにあげたような流れとは無縁で、専ら自分たちだけで地域問題を積極的に解決しているという本当に理想的な地域もあることは確かです。でもそれは決して多くない、まだまだ限られています。
私たちは戦後の自由主義、民主主義浸透の過程で、物事には損得があり、得にならないことはやってもしょうがないという風潮に染まりすぎているのかもしれません。今一度損得ではなく(結果的には損は目指さないのかもしれませんが)、まずは何を理想とするのか、何を目指すのか、私たちが望ましいと思う未来の姿、作り出したいと思う地域社会像をある程度描いてから、行動を考えるべきではないかと思う今日この頃です。
マンション(集合住宅)の可能性
熊本地震の被害は16日に発生したM7.3の地震(気象庁から「本震」と発表されました)によって、すでに14日に発生した地震による被害が拡大した形となり、多くの人的被害が発生しています。このパターンはこれまであまり注目されていませんでしたが、過去にも全くなかったわけではありません。最初の地震の時に次に発生する地震の規模や時期を特定するのは困難ですし、現在の科学ではこのような後追い被害の発生を予見することは不可能でしょう。だからこそ警鐘を鳴らす必要がありますが、いつまで、どこまで警戒すべきかもなかなか悩ましい問題です。
それでも被害を受けた建物の多くは耐震性に問題のあるものや、その立地する地盤が良くないところが圧倒的に多いのが現実ですので、まずは今ある建物の耐震性をさらに向上するための施策を一層進める必要がありそうです。建築物はそれを建てたときの規定に沿っていれば、その後基準が改定され耐震性の規則が引き上げられても、それを反映することは求められません。そのため「既存不適格」と呼ばれる建物が数多く存在します。これらをすべて強制的に耐震改修するのは困難ではありますが、耐震改修を促すための何らかのインセンティブを与えることは可能ではないかと思います。まず考えられるのは賃貸住宅の耐震性の問題です。熊本地震でも学生が済むアパートが倒壊し、たくさんの死者が発生しました。賃貸住宅はいうまでもなく「人に貸す」ための住宅ですので、持ち主が「自分で住む」ための住宅と違い、持ち主にリスク意識が低いのではないかという印象があります。建物は建てたときの基準に沿っているので、貸しても構わないだろうという論理では、努力して補強しようとか、改修しようとは思わないのではないかと推察されます。うがった見方をすれば、何とか建っているうちにできるだけ稼いでしまおうというオーナーも存在するのではないかと思います。その場合、耐震性を改善しなければ固定資産税を高くするというのも、考えられる戦略でしょう。
この考え方は分譲型の集合住宅(いわゆるマンション)でも同じことです。集合住宅の居住者が必ずしも区分所有者(オーナー)ではないので、毎年行われる総会で意思決定する時に、合意が難しくなるのがマンションの仕様変更や改善に向けた審議です。マンションはうまく維持すれば地域にとって重要な防災拠点にもなります。あまり取り上げられませんが、マンションの耐火性は広域延焼火災を食い止めるために大きな効果を発揮します。戸建て住宅ばかりの町では地震時の同時多発型の延焼拡大を防ぐ防災戦略がなかなか難しいところもあります。また、マンションが耐震性が高ければ、地域の備蓄基地ともなります。防災上多くの面でマンションは役に立つ防災資源です。ところが都心部では多くの地域でマンションは町内会ともよい関係が築かれておらず、なんとなく地域の厄介者になっているところがあります。マンションを生かすも殺すも地域の意思次第です。マンションの可能性を広げるような、防災戦略を今こそ創出しましょう。
311から5年
防災科学技術研究所の資料室では、震災5年目を迎えて特別展示を行います。つくば市の北のはずれというあまり立地の良いところではありませんが、もしお近くにお越しの節は、ぜひお立ち寄りください。
私が特別展示のために寄稿した文章を以下に掲載します。
はじめに
東日本大震災は私たちの社会が抱える巨大で複雑な「システム」が抱える危機対応の限界を如実に示す事例として極めて大きな出来事でしたが、同時にインターネット時代における情報技術が災害対応にどこまで有効なのかを知るための大きな試練ともなりました。災害リスク研究ユニットは発災直後よりさまざまな主体の被災地対応支援を行いました。その活動は災害リスク情報の共有と利活用を促進する研究開発の成果である「eコミュニティ・プラットフォーム(eコミ)」を活用し、災害リスク情報の共有・発信から始まり、宮城県、岩手県を中心に被災市町村の災害対応支援や、各地の社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターの運営支援、さらには被災地の復旧・復興のためのまちづくり支援や平時の市民防災活動支援まで、災害対応が求められる様々な側面について、従来から進めていた分散相互運用*を基本コンセプトとする情報技術を核に実践してきました。
災害予防力の向上に向けて
日本社会は今、過去に例のない大きな変動期にあります。それは世界で最も急速進む少子高齢化を背景にして、社会構造が大きく変わりつつあることです。これまでのように災害対応の中心が現役世代で十分確保されている時代とは異なり、リタイヤした世代にも、また就業前のより若い世代にも、それぞれの立場で災害に強い社会づくりに参画できる環境を作ることが求められます。そのための改善の取り組みの一つが、平成26年4月に施行された新たな災害対策基本法に定められた「地区防災計画制度**」です。行政頼みになりがちなコミュニティレベルの防災活動に関して共助によるものをより推進させ、市民に近く実態に即した災害対応を可能にする「地区」単位の防災計画を、居住者及び事業者(地区居住者等)が主体的に立てられるルールの導入です。いま全国各地でこの計画づくりが進んでいますが、私たちも地区防災計画づくりの手引きの開発や計画策定に向けたワークショップの運営支援など、いろいろな取り組みを支援しうる研究開発を進めています。併せてさまざまな地域主体が防災に気軽に参画できる環境を整えるための一助として、私たちは2010年より防災コンテスト(e防災マップづくり、防災ラジオドラマづくり)を実施しています。コンテストでは参加者に情報の分散相互運用を実現するeコミを活用していただきながら、地域の災害リスクを自ら学び、主体的に対策を立て、現状の改善に結び付ける活動をしていただいています。また、多様な地域主体の地域防災への取り組みが支援できる環境整備の構築を目指し、統合化地域防災実践支援Webサービスの開発を実施しています。
災害対応力の向上に向けて
災害対応の鍵となるものは何かという問いにはいろいろな答え方があると思いますが、現代社会に欠かせないものとして「情報」があります。危機管理という視点で災害対応を見ていくと、その第一歩は正しい情報の入手とその理解、そして関係者すべての共通認識の形成であることは明らかです。最近発生した自然災害でも、被災者にどこまで情報が届いていたのか、また届いた情報が被災者自ら危険を避けるための行動を起こすうえで十分なものであったのかというと、必ずしもそうではありません。残念なことに現在の科学技術には災害予測の精度に限界があるのも事実です。そのようなことも背景に、東日本大震災後には特別警報***が設けられました。しかし特別警報も災害が起きる前に必ず発表されるものではありません。実際、最近発生した広島市の豪雨災害や伊豆大島の豪雨災害では特別警報が発表されませんでした。このようにリスクと向き合うときに現状の技術の限界を認識したうえで状況を改善するために何ができるかを考えることは大切なことです。このような状況を乗り越える方策の一つとして、政府の総合科学技術・イノベーション会議****はこれまでバラバラに行われてきた防災に関する研究開発を、垣根を取り払い実効性のあるものにするための研究プログラムを推進することを決定しました。これがSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)です。私たち防災科学技術研究所もそのいくつかのプロジェクトの取りまとめを担っています。この中で私たちリスク研究グループは府省庁の情報共有システムの開発や、自治体における災害対応を支援するシステムの開発を行っています。
災害回復力の向上に向けて
災害はそれまで私たちが築いてきた社会を一瞬にして灰燼に帰してしまう恐ろしいものです。それを防ぐのは容易ではありませんが、復旧や復興を迅速に進めることで、社会が被るダメージをできるだけ小さいものにすることも可能です。災害リスク情報の利活用は被災地の復旧や復興のプロセスにおいても重要な意味を持ちます。明日はどこでも被災地になりうるという前提に立って、さまざまな地域情報を効率的に保存、共有、活用(アーカイブ)していくことは社会全体の責務でもあります。311を契機に始まった震災アーカイブの取り組みも、蓄積された記録を地域防災や学校防災などの現場で利用されるようになりました。また被災地が復興する過程で災害リスク情報をきちんと踏まえたまちづくりは欠かせません。その意味でも集落の集団移転や新しい都市計画などの策定、そのための共通認識の形成などにも情報技術の重要性は増しています。私たちはこの方面でも研究開発成果をさらに現場に展開してゆきたいと考えています。
*分散相互運用:情報が作成され発信、管理されるそれぞれの主体の環境はそのままに、それらを相互にやり取りするルール(プロトコル)を標準化し、分散された情報を異なる主体が相互に利用できる状況。
**地区防災計画:災害対策基本法の改正により市町村よりさらにきめの細かい単位(「地区」と呼ぶ)ごとに、自発的な防災活動を推進するための計画を立てることが可能になった。内閣府は専用サイトでこの計画づくりを推進している。
***特別警報:気象庁が従前より運用している警報の発表基準をはるかに超えるような豪雨や大津波などが予想され、重大な災害の懸念が生じたときに出されるもので、直ちに命を守る行動をとるなど、最大限の警戒が要請される。
****総合科学技術・イノベーション会議:平成26年に内閣府の総合科学技術会議が改組され、革新的な科学技術、製品、サービスの創出を目的に、多くの社会的課題を解決、克服するための府省横断的な取り組みを進めるための組織として設立された。課題は情報通信、地域資源、ナノテクノロジーから生命、環境問題まで幅広い。
地区防災計画の実効性確保に向けて
多くの防災研究者が日本全国のさまざまな地域に入り込んでいろいろな防災支援を行っていますが、解決の具体化のためになすべきことを決めるのは地域の方々ですので、実効性があるものにできるかどうかは、結局のところその方々の決意次第ということになるでしょう。研究者はあくまでナビのような存在にしかすぎません。正しい進路に向けての指針にはなるかもしれませんが、運転されるのはあくまで地域の方々です。問題が難しくなっているのは地区防災計画の実行にあたって現実に行動を伴うかどうかには、義務も補償も伴っていないということです。例えば企業であれば企業目標を明確に設定し、それを期間ごとに達成できたかどうかはきちんと検証されなければなりませんが、地区防災活動はあくまでボランタリーなものですので、そこに義務が課せられるようなことになると、途端に息苦しくなってしまいます。
そのような特性があるにせよ、地区で実効性のある「計画」にするためには3つのポイントを明確にする必要がありそうです。3つのポイントとは、
時期の明確化(いつまでに実施するか)
量の明確化(どれだけのことを実施するか:量的計測が可能な指標で表現する)
主体の明確化(誰がそれを実施するのか)
時期については地域によって事情が異なるかもしれませんが、世代の継続性などを考えると中期目標を5年、長期目標を10年程度に設定したらどうでしょうか。5年後、あるいは10年後の地域を具体的にどうするのか、明示するところから地区防災は始めたらよいのではないかと思います。これくらいの期間であれば地域の様々な将来像も、現実的に予測可能な範囲になると思われます。
防災力が高まり地域が自律して改善されていくのは車の運転に似ています。車それ自体を地域に例えると、市民の方々がドライバーであり、エンジンもまた市民の方々からなる働き手です。ガソリンはもしかすると資金的な要素もあるかもしれませんが、協働意識のようなものも重要な燃料の一つなのかもしれません。地域によってはしっかりした地域リーダー(ドライバー)がいるけれども、エンジンが弱く(働き手が少なく)、ただ乗りをしようとする人ばかりとなっているところもあるかもしれません。こうなると思ったほどには進まない効率の悪い車になってしまうかもしれません。車のエンジンが快調に回るためには、普段からの手入れと潤滑油の補給が欠かせません。先に研究者はナビのような存在と書きましたが、ナビとしては運転手の方ができるだけスムーズな運転ができるように、見やすく、わかりやすく、使いやすいものでありたいと常に思っているものの、まだまだ改善の余地がありそうです。皆様からの率直なご意見をお寄せいただければ幸甚です。
大学の存在意義
12月11日のプロジェクトシンポジウムも無事終わり、ようやく2015年も年の瀬となりました。今年もいろいろな災害や事故がありましたが、来年はこれらの少ない良い年になることを祈念したいと思います。さて、2011年の震災以来、私たちの防災科研にもいろいろな地域防災に関するご依頼をいただくようになりました。これらを踏まえてここ10年近く市民防災を進めるための基礎技術に関する開発を地道に進めてきました。すでにいろいろなところで使われているeコミマップをはじめとするIT技術はその一つですが、一番肝心なのは地域自身が他にあまり頼らず自立的にいろいろな取り組みを進める能力を持つことです。私たちのプロジェクトでは当初これらをリスクのガバナンスという視座から整理し、なるべく多くのステークホルダー(関係者)が当事者となって参加する環境の整備が必要と考えてきました。しかし現実の社会はそう簡単ではありません。道具が整備され関係者が顔見知りになっても、物事はなかなか進まない、そういうところがいっぱいあるようです。
これを解決するには性格が異なる2つのアプローチ方法があるように思います。一つは制度的な枠組みをきちんと作ってしまい、それに従うことが規則であるような社会することです。法的な拘束を強め、違反するところには罰則さえ設けるというアプローチです。実際、道路行政や都市計画行政などはこのやり方です。建築行政や防火(消防)管理行政もその類と言えるでしょう。誤りを発見した場合にはペナルティが課せられるというのはあまりうれしくありませんが、はたから見ているとわかりやすく、ルールがきちんとしていれば文句も出にくいのが特徴でしょうか。
もう一つは取り組みに実効性を持たせられればご褒美がもらえる、いわばインセンティブが与えられている取り組みです。やらなければ何もご褒美はありません。しかし、やれば必ず何らかの評価はなされ、それによる恩恵は受けられるのです。何もしなければ罰せられはしませんが、褒められることもないという社会は、味方によっては罰則と大して変わらないかもしれません。
肝心なのはこれからの私たちの社会がどのような社会を目指して展開していくかということで、私個人としては前者のような社会よりも後者のような社会のほうが受け入れられるのではないかと思います。もちろん高齢化、少子化が進むので、「やりたくてもできない」地域や「やってもできない」地域が出てくるのは仕方ありません。ですので、決められた目標が達成できない地域を落ちこぼれにさせないような目配り、気配りが必要です。
地域防災においても地域の主体性、自立性がとても重要になっています。それを支えるガバナンス関係者の存在をさらに増やしていくには、参加することのメリットを目に見えるようにする必要が急務になっているように思います。たとえば国立大学があります。国立大学はどこの都道府県にもありますが、それが果たしてどこまで地域と連携して研究を進めているでしょうか。国立大学がどこでも同じ金太郎飴的な教育機関になるのではなく、地域特色をもっと強めた教育機関として地域に貢献できるようにするのに、防災や環境はよいテーマです。私たちが取りまとめているプロジェクトALL防災WEBの中にもたくさんの大学関係者がいます。今一歩取り組みを実効性のあるものに高めなければなりません。
根深い問題
日本では住宅は高い買い物の代表です。しかも建物がきちんと作られているかどうかを購入者が完全に判断するのは難しいのが実態です。購入者はある一定の了解をもって、建設者や設計者、そして施工者を「信じて」購入するしか方法がありません。したがって建物については使っているうちに自然劣化するものとは明らかに異なる変化が現れた時には、使用を留保して検査し、場合によっては補修や改善をする制度が必要です。このようなトラブルを避けるため住宅性能保証制度や、住宅瑕疵担保責任保険制度が設けられています。これから住宅を購入されようとしている方がいたら、ぜひこれらの制度について確認されることをお勧めします。
モノを作る側と、作られたモノを購入して使う側とでは、そのモノに対するリスク情報の理解に差があります。この情報の不平等の存在がこの事件の根幹にあり、ある意味でそれを利用した詐欺行為であるともいえます。もし建屋が傾くなどの明確な異常が現れなければ、この事件も発覚しなかったのではないか(知らないまま住み続けていたかも)と考えると本当に厄介です。大規模な地震が起きたとき、あちこちで建物が傾いてしまい、その原因がすべて地震によるものだと言われてしまうと、きわめて問題です。そのようなことがないよう、すべての建物で設計通りに作られているのか、確認する技術の開発こそが今一番必要とされているのではないでしょうか。
水害と保険
鬼怒川の氾濫などで大被害となった「平成27年9月関東・東北豪雨」(気象庁命名)の被害では、全国で8名の方がなくなり(9月25日総務省消防庁発表)、たくさんの住宅に被害が発生しました。茨城県や栃木県での被害住宅数等がまだ固まっていませんが、全国での被害は床上浸水だけで7000棟を超え、床下浸水は12000棟にもならんとしています。今後数字はまだ増えると思いますが、何十年、あるいは何百年に一度の大災害では、一生の買い物のはずであった家もあっけなく被災してその形がなくなることもありうるのだということを私たちは肝に銘じておかねばなりません。
このような事態に備えて準備をしておくのが住宅への損害保険なのですが、注意しなければならないのは損害保険でも自然災害での補償(保険金)が受けられないものがあるということです。一般的な住宅保険は基本が火災補償から始まっています。かつて日本では火災が多く、木造という燃えやすい構造であったことから、まず火事の損失をカバーしなければならないという必然性から生じたものですが、火気器具の性能向上や、消火器具の普及、公設消防力の整備などで、時代とともに火災のリスクがかなり抑えられてきており、火災だけでは住宅の災害補償は不十分だという認識が定着してきました。そこで風による損害(竜巻や突風、台風などの強風)や雷による損害も、基本的な火災と同様に基本リスクとして担保されるようになり、さらに総合保険でカバーされる水害や土砂災害もいまやカバーされる基本リスクに含まれているのが保険会社からのおすすめ商品としてはごく当たり前になってきました。むしろ現代では水害リスクを不担保としている契約は珍しいのかもしれません。とはいえ、契約書類には水害不担保に押印をする欄があります。もしこの災害で保険金が支払われなかったとしたら、経済的にはたいへんつらいものがあります。このような事態を避けるためにも、お住まいの地域に水害リスクがあるかどうかは、ぜひハザードマップ等で確認し、もしある場合には水害が補償される保険を契約されることをお勧めします。
この火災保険も来る10月から料率が改定され、おおむね高くなるところが多いようです。西日本を中心に自然災害による保険金支払いが増えていることがその原因と説明されているようですが、被災当事者でなくてもこのような機会に自分の置かれているリスクと保険について一度考えていただくきっかけになればと思います。
被災地の衛生管理
常総市に大打撃を与えた鬼怒川決壊による水害からほぼ半月がたちました。被災地の復興はまだ長い道のりがありますが、これから涼しいシーズンに向かうので、まだましなほうなのかもしれません。私が調査した一番ひどい水害は1982年7月23日に発生した長崎水害でした。これは梅雨の本当に末期に発生したので、災害後に夏本番となり、遠慮会釈なく照り付ける猛烈な夏の日差しと、300名近い死者を出した大規模な土砂災害との闘いは、壮絶なものがありました。街の中心部をほぼ軒の高さで流れ下った洪水は、観光名所で知られる眼鏡橋を崩壊させ、市の商業地区にも甚大な被害を与えました。もっとひどかったのは山間地の集落で、最上部のところでは集落が跡形もなく貯水湖に飲み込まれているところもありました。斜面の美しさが際立った街だけに、その被害は壮絶なものでした。
常総市でも最初は濁水でどろどろになったので、とにかく泥を掻き出す作業にもっとも労力が注がれたと思いますが、市役所からは消石灰や消毒液など、自宅周りや内部に散布するものが配布されています。下の写真はその一部です。ほぼ30年前の1986年に台風10号がもたらした豪雨で決壊した小貝川の水害では、当時の下館市の約4分の一を冠水させたといわれています。当時私も被災地調査に来たのですが、たくさんの畜舎が被害にあっていて、いたるところに消石灰がまかれていたのが印象的でした。側溝など、水がたまりやすいところでは蚊の発生が懸念されます。最も暑い8月よりも9月のほうが蚊が多いという話もありますので、石灰はまだまだ有効な衛生資源ですね。
家の中などで一番使われているのが写真にもある「ベンザルコニウム塩化物液」で、製品名ではオスバンとか、ザルコニンとかがつけられているものです。これを薄めて散布したり、拭き掃除に使うのが一般的です。塩化ベンザルコニウムというのは俗に逆性石鹸と言われるもので、細菌やカビなどに作用して殺菌力が高いのが特徴のようです。海面活性効果もあるのですが、一方で普通石鹸と混ぜると両方の作用が合わさって洗浄効果も殺菌効果も弱ってしまうようですので、使い方についてはよく説明を読んでからにしたいところですね。