防災科学技術研究所の資料室では、震災5年目を迎えて特別展示を行います。つくば市の北のはずれというあまり立地の良いところではありませんが、もしお近くにお越しの節は、ぜひお立ち寄りください。
私が特別展示のために寄稿した文章を以下に掲載します。
はじめに
東日本大震災は私たちの社会が抱える巨大で複雑な「システム」が抱える危機対応の限界を如実に示す事例として極めて大きな出来事でしたが、同時にインターネット時代における情報技術が災害対応にどこまで有効なのかを知るための大きな試練ともなりました。災害リスク研究ユニットは発災直後よりさまざまな主体の被災地対応支援を行いました。その活動は災害リスク情報の共有と利活用を促進する研究開発の成果である「eコミュニティ・プラットフォーム(eコミ)」を活用し、災害リスク情報の共有・発信から始まり、宮城県、岩手県を中心に被災市町村の災害対応支援や、各地の社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターの運営支援、さらには被災地の復旧・復興のためのまちづくり支援や平時の市民防災活動支援まで、災害対応が求められる様々な側面について、従来から進めていた分散相互運用*を基本コンセプトとする情報技術を核に実践してきました。
災害予防力の向上に向けて
日本社会は今、過去に例のない大きな変動期にあります。それは世界で最も急速進む少子高齢化を背景にして、社会構造が大きく変わりつつあることです。これまでのように災害対応の中心が現役世代で十分確保されている時代とは異なり、リタイヤした世代にも、また就業前のより若い世代にも、それぞれの立場で災害に強い社会づくりに参画できる環境を作ることが求められます。そのための改善の取り組みの一つが、平成26年4月に施行された新たな災害対策基本法に定められた「地区防災計画制度**」です。行政頼みになりがちなコミュニティレベルの防災活動に関して共助によるものをより推進させ、市民に近く実態に即した災害対応を可能にする「地区」単位の防災計画を、居住者及び事業者(地区居住者等)が主体的に立てられるルールの導入です。いま全国各地でこの計画づくりが進んでいますが、私たちも地区防災計画づくりの手引きの開発や計画策定に向けたワークショップの運営支援など、いろいろな取り組みを支援しうる研究開発を進めています。併せてさまざまな地域主体が防災に気軽に参画できる環境を整えるための一助として、私たちは2010年より防災コンテスト(e防災マップづくり、防災ラジオドラマづくり)を実施しています。コンテストでは参加者に情報の分散相互運用を実現するeコミを活用していただきながら、地域の災害リスクを自ら学び、主体的に対策を立て、現状の改善に結び付ける活動をしていただいています。また、多様な地域主体の地域防災への取り組みが支援できる環境整備の構築を目指し、統合化地域防災実践支援Webサービスの開発を実施しています。
災害対応力の向上に向けて
災害対応の鍵となるものは何かという問いにはいろいろな答え方があると思いますが、現代社会に欠かせないものとして「情報」があります。危機管理という視点で災害対応を見ていくと、その第一歩は正しい情報の入手とその理解、そして関係者すべての共通認識の形成であることは明らかです。最近発生した自然災害でも、被災者にどこまで情報が届いていたのか、また届いた情報が被災者自ら危険を避けるための行動を起こすうえで十分なものであったのかというと、必ずしもそうではありません。残念なことに現在の科学技術には災害予測の精度に限界があるのも事実です。そのようなことも背景に、東日本大震災後には特別警報***が設けられました。しかし特別警報も災害が起きる前に必ず発表されるものではありません。実際、最近発生した広島市の豪雨災害や伊豆大島の豪雨災害では特別警報が発表されませんでした。このようにリスクと向き合うときに現状の技術の限界を認識したうえで状況を改善するために何ができるかを考えることは大切なことです。このような状況を乗り越える方策の一つとして、政府の総合科学技術・イノベーション会議****はこれまでバラバラに行われてきた防災に関する研究開発を、垣根を取り払い実効性のあるものにするための研究プログラムを推進することを決定しました。これがSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)です。私たち防災科学技術研究所もそのいくつかのプロジェクトの取りまとめを担っています。この中で私たちリスク研究グループは府省庁の情報共有システムの開発や、自治体における災害対応を支援するシステムの開発を行っています。
災害回復力の向上に向けて
災害はそれまで私たちが築いてきた社会を一瞬にして灰燼に帰してしまう恐ろしいものです。それを防ぐのは容易ではありませんが、復旧や復興を迅速に進めることで、社会が被るダメージをできるだけ小さいものにすることも可能です。災害リスク情報の利活用は被災地の復旧や復興のプロセスにおいても重要な意味を持ちます。明日はどこでも被災地になりうるという前提に立って、さまざまな地域情報を効率的に保存、共有、活用(アーカイブ)していくことは社会全体の責務でもあります。311を契機に始まった震災アーカイブの取り組みも、蓄積された記録を地域防災や学校防災などの現場で利用されるようになりました。また被災地が復興する過程で災害リスク情報をきちんと踏まえたまちづくりは欠かせません。その意味でも集落の集団移転や新しい都市計画などの策定、そのための共通認識の形成などにも情報技術の重要性は増しています。私たちはこの方面でも研究開発成果をさらに現場に展開してゆきたいと考えています。
*分散相互運用:情報が作成され発信、管理されるそれぞれの主体の環境はそのままに、それらを相互にやり取りするルール(プロトコル)を標準化し、分散された情報を異なる主体が相互に利用できる状況。
**地区防災計画:災害対策基本法の改正により市町村よりさらにきめの細かい単位(「地区」と呼ぶ)ごとに、自発的な防災活動を推進するための計画を立てることが可能になった。内閣府は専用サイトでこの計画づくりを推進している。
***特別警報:気象庁が従前より運用している警報の発表基準をはるかに超えるような豪雨や大津波などが予想され、重大な災害の懸念が生じたときに出されるもので、直ちに命を守る行動をとるなど、最大限の警戒が要請される。
****総合科学技術・イノベーション会議:平成26年に内閣府の総合科学技術会議が改組され、革新的な科学技術、製品、サービスの創出を目的に、多くの社会的課題を解決、克服するための府省横断的な取り組みを進めるための組織として設立された。課題は情報通信、地域資源、ナノテクノロジーから生命、環境問題まで幅広い。